今回は剣術について書いていきます。
剣術は、現在の古流武術や剣道、殺陣などでよく目にする刀の扱い方とは異なり、もともとは合戦の場で遣うことが想定されていました。
合戦では甲冑を身に着けているためにその状態で扱える剣技が必要です。これを「介者剣術」と言います。
そして甲冑を身につけず、平服の状態で扱う剣術のことを「素肌剣術」と言います。
今回はこの「介者剣術」と「素肌剣術」の違いについて紹介していきます。
1.介者剣術
介者剣術は、甲冑を身にまとった状態で扱う剣術のことを言います。
時代は戦が盛んにあった室町時代から戦国時代、そして江戸時代初期になります。
甲冑といえば20㎏から30㎏ほどにもなるので、それを着て戦うとなれば俊敏な動きをするのはかなり難しいでしょう。そして、甲冑は非常に防御力が高いので、どこを斬りつけてもいいという訳にはいきません。
甲冑に守られているところに斬りつけても全く効果がないとさえ言われており、継ぎ目や甲冑に守られていない空いている所を狙っていくことが求められます。
このように、かなり制限された中で相手と戦うことを考慮して剣を扱うのが介者剣術です。現在でも伝承されている新陰流や一刀流も、今は主に素肌剣術で行われていると思いますが、もともとは介者剣術として創始されました。
介者剣術ではどこを狙えばいいのか?
それは主に、目・首・脇の下・金的・内腿・手首といった甲冑の隙間となっている部分を狙います。
また、甲冑の胴と草摺(胴の下に垂れて、大腿部を覆うもの。)の間を打つことで激痛を与えたり、草摺の紐を切って草摺がずり下がることで相手の動きの邪魔になるようにすることもあったようです。
2.素肌剣術
素肌剣術は、甲冑を着ることを想定せず、平服・軽装で打刀を用いて戦う剣術で、介者剣術と区別される時には素肌剣術と言われますが、現在の古流剣術といえばこの素肌剣術で稽古しているのが主だと思います。
江戸時代に入り甲冑を着て戦う戦がなくなると、介者剣術を稽古する必要がなくなります。
それでも武士は平服で常に刀を帯びていて時にはそれを抜いて戦うこともある。そこで、今まで介者剣術として稽古されてきた剣術を、素肌剣術に移していったのです。
甲冑という大きな制限がないので、介者剣術と比べて俊敏に動けて、刀もより自由自在に操り、介者剣術に比べて間合も広くなり、伸び伸びと遣う剣術が素肌剣術です。
3.介者剣術の構え
介者剣術は重い甲冑を身に着けているため、普通に立って構えるのが難しい。
そのため、前後の足幅を広くして腰を落とした低い構え、流派によっては沈身といった状態で構えます。
新陰流の「身懸五箇条之大事」によれば、介者剣術の構えは、一重身となり、敵の拳が自分の肩の高さになるような沈身で、鍔を盾にして下げないようにし、前膝に身体が乗った前懸かりのような姿勢と伝えられています。
このように、介者剣術における構えの姿勢とは、安定した姿勢を維持出来る沈身と一重身が基本でした。重い甲冑を着ていると転倒しやすいそうです。敵の前で転倒してしまえば大きな隙になってしまうのもあり、甲冑を着て動いても転倒しない安定した姿勢が求められたのですね。
構えは、中段・八相・脇構え等が基本でした。合戦の場では周りには敵もいれば味方もいるため、八相の構えが、味方を傷つけず敵を倒す集団戦に適した構えで、介者剣術の形や組太刀には八相が多く見られます。
4.素肌剣術の構え
素肌剣術は、甲冑という制限がなくなったため、直立の姿勢となり、前後の足幅も介者剣術のように広くとらずに自然体で構えます。
新陰流の柳生兵庫助利厳は「始終不捨書」の中で、「十好習之事」として、直立タル身之位事 と第一に記しており、「身懸五箇条之大事」による、一重身・沈身としていた姿勢を、平服での剣術に適した、直立で自然体という姿勢に改めたのです。
このように新陰流は素肌剣術に移行しましたが、新陰流と同じく戦国時代に成立した他の流派も、時代の流れの中で素肌剣術に適した構えへと変化させていきました。
素肌剣術の構えは、中段・上段・下段・八相・脇構え の五つの構えが主に使われます。
介者剣術との大きな違いは、上段の構えを遣うところでしょう。
介者剣術では甲冑を身に着けていて、兜には前立が付いていることが多いために、刀を上に振りかぶったり、上段の構えをとることが難しかったのです。素肌剣術に移行し頭上への振りかぶり、上段の構えが可能になりました。
上段の構えは、「火の構え」とも言われるように攻めの構えであり、素肌剣術の基本姿勢である直立した姿勢から頭上に構えた上段は、あとは振り下ろすだけという有利性があり、また心理的にも攻めの作用があり、上から敵を圧迫し攻め込むことに適した構えなのです。
5.介者剣術の運剣
介者剣術では、真っすぐに振りかぶって真っすぐに振り下ろすということが出来ないため、主に遣われた太刀筋は袈裟や逆袈裟といった斜の太刀でした。
新陰流に「逆風」という太刀があります。
逆風は、高い八相のような構えから、斜太刀を左右交互に繰り出す技です。これにより、相手の剣を体捌きによってかわしつつ相手を斬るという攻防一体の動きになっています。
柳生五郎右衛門宗章は、この逆風の太刀で甲冑武者18名を倒したと伝えられています。
素肌剣術の多くは前足を出して斬るというのが一般的ですが、介者剣術の「身懸五箇条之大事」のような低い姿勢で構えていると前足で大きく踏み込んで斬るというのが困難であるために、介者剣術においては、足を交互に踏み出して斬りに行くという遣い方が多く見られたようです。
介者剣術の運剣で遣われた太刀として挙げられるのが、「廻剣」です。廻剣は、その文字通り、剣先を一旦下げて廻すように斬る刀法で、素肌剣術では受け流しでも遣われる運剣です。
甲冑を着ているために振りかぶることが困難なので剣先を廻すように遣うことで、振りかりの代用としています。
この廻す動きには、相手の剣を受けて流すという効果もあり、廻剣は相手の剣を受け流す剣がそのまま斬るという動きにつながっています。
香取神道流の特徴的な太刀の遣い方に「巻き打ち」がありますが、これも、兜を付けていて上段に取れないことを考慮して、刀を腕に沿わせるように振りかぶって、遠心力を使い真向から打つというものです。
介者剣術では、その装備を使った刀法も見られます。それは、その頑丈な籠手で相手の剣を受け、もう一方の手で斬るまたは突くという攻撃と防御を同時に行う、二刀の刀法にも通じる戦法です。
私も撮影で甲冑を身に着けたことがありますが、本物の甲冑ではないですが籠手には金属の板のようなものがしっかりと縫い付けてあり、これなら相手の剣を籠手で受けることは出来そうだと感じました。
他にも介者剣術においては、下から突き上げたり、斬るというより叩くような剣の遣い方が見られ、素肌剣術とは趣が異なり、合戦の場で遣うことを考慮された剣術であることが分かります。
6.素肌剣術の運剣
素肌剣術では甲冑という制限がなくなったため、頭上に振りかぶり、自由自在に動くことが出来るようになりました。
斬りつけられる部分も大幅に増え、剣先がより伸びるようになり間合も広がり、多彩な剣技が生み出されていきます。
素肌剣術特有の運剣として、多くの流派で基本とされているのが、各種の構えから高く振りかぶり自分と相手の正中線を真っすぐに振り下ろす「真向斬り下ろし」の太刀です。
真向斬り下ろしは、古流剣術を代表する二流、新陰流と一刀流における基本の太刀であり、その他多くの流派でもその位置づけでありそれは剣道、居合、合気道やまた殺陣においても変わりません。
真向斬り下ろしは比較的どの構えからでも繰り出せる、遣いやすい太刀で、左右どちらにも偏っていないために八相や脇構えの構えからでも無理なく振ることが出来ます。
この、遣うことが出来ない、遣う局面として適していないということが少ないということが、真向斬り下ろしが基本の太刀としての地位を確立した理由の一つに考えられます。
こうした真向斬り下ろしを工夫されて編み出された太刀に一刀流の「切落し」があります。新陰流には「合撃」という太刀が切落しとよく似ています。
切落しの大まかな説明としては、相手が打ってくるのに対して、それを防いだり避けたりせず、こちらも振りかぶって真向から振り下ろし、相手の打ちを切り落としつつ面に入ったり突きに出たりするという刀法です。
切落しや合撃は両流の極意の一つとされており、北辰一刀流の千葉周作は、「剣法秘訣」の中で、
最も初めの組太刀一つ勝、切落しの意味一本発明すれば、今日入門したる者にも、明日必ず皆伝を渡すべしと申し教ふるなり
と記しており、最初に習う組太刀である「一つ勝」で遣う切落しが遣えるようになれば、入門したばかりの者でも免許皆伝であると述べています。
いかがだったでしょうか。
甲冑を身に着けているのといないのとで、剣の遣い方が全然違っていたのですね。
是非これを読んで、甲冑を身に着けている場合の殺陣を行う参考などにしていただけたら幸いです!
また、素肌剣術の真向斬り下ろし誕生とそれの理合いを知ることで、より真向斬り下ろしの稽古に打ち込めればと私自身感じております。
【参考文献】
武道家のための古流剣術入門 著者:京 一輔