第1回目は、刀の差し方について説明いたします。
皆さまは刀の差し方についてどのようなイメージをお持ちでしょうか?
時代劇が少なくなり、特に若い方々が時代劇に触れることが少なくなった昨今、意外にも日本人の方でも刀をどうやって扱っているのか分からなかったりします。
しかしこれさえ読めば、殺陣における刀の差し方が分かると思います!
1.刀を差す
その時代背景によって刀の扱い方・所作は違いますが、
時代劇の時代背景は江戸時代が大半を占めるので、一般的に良く知られている“殺陣”は江戸時代を背景としていることが多いです。
江戸時代、主君に仕えている武士は「二本差し」が決まりとなっています。
二本差しとは、打刀(うちがたな)と呼ぶ大刀、そして脇差(刃の長さ=刃渡りが30cm~60cm未満の刀)の二本の刀を腰に帯びることです。
二本とも袴の下に着ている着物の帯に差しますが、
この時気を付けなければならないのが、必ず刃を上にして差すことです。
反りのある峰(みね)の方は下になります。
帯への差し方は、
三回巻いてある帯の自分の身から一巻き目と二巻き目の間に脇差、そして二巻き目と三巻き目の間に大刀を差します。
そして大刀、脇差の柄頭(つかがしら)を自分のへその前に持ってきて大刀と脇差を交差させると固定されます。
実際に二本差しをしてみると、脇差があるとかなり動きづらいです。
なぜ脇差を差しているのかは、大刀を失った時の予備、切腹に使うなど理由は様々あります。
武士は訪問したり厠(トイレ)に行ったりする際に大刀を手放すことはよくありますが、脇差を手放すことはありません。
脇差は武士の象徴を示す役割が大きかったものと思われます。
2.太刀を佩く
打刀が登場したのは室町時代後期以降なので、それ以前の時代背景、例えば戦国時代では、
打刀のように帯に差さず、太刀(たち)と呼ばれる刀を吊るしていました。
これを「太刀を佩く(はく)」と言います。
太刀の拵え(こしらえ※刀の外装のこと)には帯執(おびとり)といって紐を通せる穴が先端に付いているものが二つ並んで出ています。
この穴に「太刀紐」を通して堅結びをし、腰にくくり付けることで太刀を吊るします。
甲冑着用時は太刀とは別に「鎧通し」と呼ばれる短刀を差しており、これは相手を組み伏せた後にとどめを刺す時に使います。
なぜ打刀と太刀で身に付け方が違うのかの理由ですが、戦国時代は馬に乗って戦う馬上戦が多いからです。
打刀のように刃を上にすると、鞘の先が馬のお尻に当たって馬が落ち着かなくなることが大きな理由です。
吊るしている理由も同じく馬上で扱うことが理由で、片手で太刀を抜かなければならないため、吊るすことで抜きやすいようになっています。
室町時代に入り戦の戦い方は馬上ではなく地上戦が増えていったために打刀が登場しました。
3.打刀と太刀の違い
太刀と打刀の刀身の違いは、実は明確な区別があるわけではないのですが、
銘(刀工の名前など)が彫られている場所が違うことが大きな違いとして挙げられます。
太刀は刃を下にした時に茎(なかご、刀の根本の部分)の左側に銘が見えます。
これを佩表(はきおもて)と言います。
打刀は刃を上にした時に茎の左側に銘が見えます。
これを差表(さしおもて)と言います。
しかし例外も多いので、あくまで目安です。
また、太刀は馬上で抜きやすくするために反りが深いこと、馬上で振るために刃渡りが長いこと※が特徴として挙げられます。
もちろん打刀の中にも刃渡りの長い刀はあります。
太刀を打刀拵えにして使っている人もたくさんいました。その場合は太刀の茎を短く磨り上げて打刀に直します。
中には、茎が残らないほど磨り上げて、刃の部分を茎にしてしまうこともあり、それを「大磨り上げ」と言います。
ちなみに博物館で刀を展示する場合、太刀は刃を下にして、打刀は刃を上にして展示されています。
※太刀は平均刃渡り75cm、打刀は70cm。江戸時代は長さに規定があり、長い刀は持てなかった。現在居合道で刀を使う場合は身長で刃渡りを選ぶ。75cmは180cmの長身の人が選ぶ長さなので、やはり長いことがわかる。
4.打刀の差し方の種類
4-1.閂差し(かんぬきざし)
横から見ると、大刀が地面と垂直になっているように見える差し方です。
門が外側から開かないように門の内側左右についている金具に差し込む横木に似ていることからこの呼び名が付いています。
刀を抜きざまに攻撃する“抜き打ち”がすぐに出来る状態で、この差し方が一番刀を抜きやすいです。
戦闘態勢の時はこの位置に刀を持ってくることが多いでしょう。
しかし戦のない江戸時代にこの差し方で町を歩いている人は少ないので、時代劇でも、剣の達人の役がこの差し方をしています。
4-2.落とし差し(おとしざし)
落とし差しはその名の通り、横から見て鞘が下に下がっている差し方です。
柄が自分の胸のあたりまで上がってる状態ですね。
この差し方が時代劇で一番よく見られる差し方です。
刀を実際に差してみると、周りを気を付けて歩かないと鞘があちこちに当たってしまうことに気が付くと思います。
人混みを歩く時は落とし差しにして歩かなければすぐに人に当たってしまうので、人の多かった江戸ではこの差し方がマナーだったとも言えるでしょう。
ちなみに現在でも殺陣や剣道や居合道を嗜む人は、常に周りを気にして刀が入っている袋を人に当てないように心掛けなければなりません。
また、実際江戸時代では、侍が刀を抜いて斬り合うことなど頻繁にあることではないので、常に刀が抜けるようにと用心していたわけではありません。
そういう意味でも落とし差しの侍が多いのです。
城勤めをしていない浪人などを演じる時は必ずこの差し方になります。
4ー3.天神差し(てんじんざし)
戦国時代は腰に太刀を吊るし、鞘が馬に当たらぬよう刃は上を向くと書きましたが、打刀を帯びて馬に乗る場合もやはり刃を上にして乗ります。
これを天神差しと言います。
この差し方は打刀が登場してからの戦の場で用いられる差し方です。
つまり甲冑を着ていることが前提の差し方ですね。
甲冑を着ているので帯に差していたのではなく腰にくくり付けている状態です。
鉄砲隊も、膝立ちになって鉄砲を構えた時に鞘が地面に当たってしまうのでこの差し方をしていました。
居合道では、帯に帯刀している状態でとっさに鞘を反対にして天神差しにし、下から斬り上げる技があります。
5.刀は必ず右手で抜くもの
刀を持つ時は上が右手、下が左手ですが、よく聞かれる質問の一つとして、
「左利きの人は刀をどう持てばいいのか?」
というのがあります。
刀は左の腰に差していて右手で抜くので、左利きの人はやりにくいですよね。
しかし、江戸時代の侍は必ず左腰に刀を差し、右手で刀を抜いていました。
これには理由があります。
武術的な理由としては、自分から見て相手の心臓が左側にあるからです。
相手の急所である心臓を突くには、右手に持った刀で突いた方が突きやすいのです。
他の理由として、江戸時代は左側通行だったためというのが挙げられます。
刀は武士の魂と言われる神聖なものなので、勝手に触れたりするのは大変失礼にあたります。
ましてや鞘と鞘が当たったりすれば喧嘩になり斬り合いに発展する恐れがあります。
そのため刀を左腰に差し、左側通行で歩けば鞘が当たることはないということです。
ちなみに現在でも、自分の所有ではない刀(模造刀も含め)を勝手に触るのは失礼なので気を付けましょう。
これらの理由から、刀は左腰に差しているわけですが、
では左利きの人はどうすればいいのかと言うと、
江戸時代では武家に生まれれば幼い頃に矯正されました。
武家社会は特に厳しいしきたりが多いので、筆を持つ手、箸を持つ手、刀を持つ手はすべて右手でなければなりませんでした。
新選組の斎藤一は左利きだったと言われており、映画の中で右腰に刀を差していることがありますが、これは例外なケースです。
斎藤一がそのようにして刀を使っていたという確かな記録はありません。
隻腕のヒーロー丹下左膳は左手で刀を振っていますが、左腰に刀を差しています。
現在でも左利きの人が剣術や殺陣をやる場合には、右利きの人と同じように刀を扱わなければなりませんが、
実は刀を振る際に重要なのは右手ではなく左手なので、左利きの人は逆に有利だったりするようです。
【参考文献】
週刊日本刀 ディアゴスティーニジャパン